(2002/12/18)[不滅の恋 ベートーヴェン]一般的に人は簡単なやり方で直感的に素早くおおまかな判断をする傾向にあるそうです。例えば、よく起きることは思い浮かべやすく、知っている例が代表だと思い込みやすく、最初の思い込みに引きずられやすく、メリットが有れば受け入れやすく、自分から進んでやれば受け入れたがることが知られています。(huristicというそうです)1827年3月26日にこの世を去ったベートーヴェンは、56才3ヶ月の生涯を独身で通し、死後秘密の引き出しに銀行株券7枚のほかに2枚の女性の肖像細密画と謎の手紙が発見されました。それも相思相愛の恋文であり、年代や発信地は無く、相手の名前も無かったのです。手紙の第1発見者でありベートーヴェンの晩年の弟子で秘書だったアントン・シントラーがこの恋人はピアノソナタ作品27−2『月光』を献呈されたジュリエッタ・グイッチャルディであると言ったため、死後50年の間そのまま世界中に広まったのでした。その後150年もの間多くの研究が行われ25件程の候補者説が発表されました。シントラーのヒューリスティックな思い込みから候補者の解明が遅れたお陰で『不滅の恋人』と称される謎の人物の論争が絶えなかった訳です。謎が謎を呼び物語や映画となって私たちを楽しませてくれます。7年前に上映されましたバーナード・ローズ監督のミステリアスな映画『不滅の恋 ベートーヴェン』が大晦日深夜に某テレビ局で放映されますので、必見です。お楽しみを!
| ようこそ! |
| 今日は!!このホ−ムページは、1998年4月22日より、クラシック音楽とアマチュアオーケストラの話題を中心に、折りに触れて感じたことを気の向くまま、毎週水曜日を目標につづっています。お便りは、mukudori@nasuinfo.or.jp まで。お好きにリンクして楽しんで下さって結構です。 |
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(2002/12/24 20:14:50更新)
・歌は歌でも短歌の世界【短歌】2002/12/01
・曲の性格や表情を暗示するために用いる用語【曲想一覧表】2002/01/01
・16世紀から近代までに消長した舞曲集【舞曲一覧表】2001/01/01
・ピアノ トリオ,クァルテット,クインテット集【ピアノ・アンサンブル一覧】1998/09/28
・音楽関連のリンク集【面白りんく頁】2000/08/19更新
・鳥に関するタイトルを持つ曲【鳥の曲一覧】2000/05/04更新
・【モーツァルトピアノ曲一覧表】2000/05/03
・モーツァルト合奏団練習場【東公民館】2000/04/01
・舞台芸術が好きな方へ【那須野が原ハーモニーホール】1999/09/05
・使用楽器がひとめで分かる【モーツァルト室内楽曲編成一覧表】1999/06/10
・使用楽器がひとめで分かる【モーツァルト歌劇編成一覧表】1999/06/03
・使用楽器がひとめで分かる【モーツァルト管弦楽曲編成一覧表】1999/05/14
・使用楽器がひとめで分かる【モーツァルト協奏曲編成一覧表】1999/05/04
・使用楽器がひとめで分かる【モーツァルト交響曲編成一覧表】1999/04/22
・那須地区の水害被災者義援イヴェント【チャリティ・コンサート】1998/09/14
(2002/12/11)[光星学園]那須町にあります障害者自立のための支援施設『光星学園』『りんどう作業所』があります。今年も12月22日(日)13:30より那須町文化センター大ホールで、チャリティ・コンサートを催します。演目は次の通りです。
光星学園生(聖劇)、ポコ・ア・ポコ(ギターアンサンブル)、コールスペランツァ(コーラス)、りんどう作業所
山の音楽隊(合奏)、大田原高校音楽部(合唱)、ウッド・フレンズ・アンサンブル(木管アンサンブル)、光星学園音楽クラブ(合奏)、国際医療福祉大学ハンドベル部(ハンドベルアンサンブル)、カデンツ(合唱)、モーツァルト合奏団(弦楽アンサンブル)
入場料は大人1,000円(当日1,100円)小中高生500円です。皆様の暖かいご支援をよろしくお願いします。
(2002/12/04)[魅力のイタリア]キャビア・トリュフ・フォアグラを添えたロッシーニ風フィレ・ステーキが期間限定メニューとして某ファミリー・レストランで味わえます。料理やファッション、中田や中村が活躍しているサッカーに至るまでイタリアは日本人にとって魅力ある存在です。16世紀から18世紀にかけてヨーロッパにおける絵画・建築・彫刻・詩など文化の中心はイタリアでした。音楽においてもも例外ではなく、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルやヨハン・クリスチャン・バッハは、イタリア・オペラのアリアから派生したソナタ形式などの最新の音楽をイタリアに求め、それを身につけて成功するのでした。14才でボローニャのアカデミアの会員となったモーツァルトでも、憧れの宮廷作曲家になれたのは31才になってからです。24才で宮廷作曲家になった生え抜きのサリエリもやはりイタリア人でした。ヴォルフガング・テーオフィル・モーツァルトという洗礼名を変えイタリア語のアマデオからくるアマデウスに名前を変えてしまうほど、イタリアの影響は凄かったんですね。
(2002/11/27)[実らぬ初恋]現代では、楽器だけの演奏による音楽会は当たり前のように催されていますが、モーツァルトの時代は、音楽会には必ずと言っていいほど歌があったそうです。モーツァルトが9才の頃、オランダを訪ねた時に可愛がってもらったオラーニエ公妃を12年ぶりの1778年1月中旬にキルヒハイム=ボーラント訪問し、音楽会を開催したそうです。この時随行したのが写譜師のウェーバーとその娘で歌手のアロイジアでした。3人旅が続く中、モーツァルトは次第にアロイジアを本気で恋してしまうのです。それまで、ベーズレちゃんこと従妹のマリア・アンナ・テークラなどお付合いした女性は何人かいましたが、アロイジアはモーツァルトが本気で好きになった初恋の相手でした。ところが父レオポルトの反対に一蹴され、パリへ行くことになり、お別れコンサートに、3台のピアノ協奏曲KV242の第2ピアノをアロイジアに演奏してもらい、また、彼女のために創ったアリア『どこからきたのか知らない』KV294を歌ってもらったのでした。アロイジアからは手編みの手袋をモーツァルトに贈ったそうです。ところが半年過ぎてミュンヘンで会ったアロイジアはモーツァルトに冷たく、にべもなくふられたモーツァルトは父に宛てた手紙の中で生まれて初めての泣き言を父に書いたそうです。初恋とは実らぬものでしょうか?
(2002/11/20)[音に聞く恋]万葉集第十一巻二七一一に『音に聞く恋』の歌があります。
奥山の木の葉隠れて行く水の音聞きしより常忘らえず
奥山の木の葉に隠れて流れる水のように(見たことも無いあなたの)音(噂)を聞いてからいつも忘れられないよという意味で、ここでは音は噂を意味するそうです。つまり、噂だけを聞いて、まだ逢ったことのない人を恋する場合に「音に聞く」という表現をするそうです。どこからともなく伝わってくる不思議さと、皆が言っている共同性と、聞けば誰かに伝えないでいられないもどかしさから、噂は神の意志ともとられていたようです。噂が持つ呪性がとり憑かれたように判断をもたらすことを聞くと表現しているのです。音楽でも作曲者や演奏者さらに楽器製作者などの魂とでもいえる想いについても呪性があり、ひょっとしたらあなたをとりこにしているかもしれませんね。
(2002/11/13)[弾き振り]指揮者は指揮台に立ち指揮棒を振るのが現在では一般的な形です。しかし、場合によってはコンサート・マスターが演奏を行いながら指揮をしたり、協奏曲で独奏者が独奏を行いながら指揮をしたりすることもあります。これを弾き振りと言います。つまり楽器を弾きながら指揮をする訳です。バロック時代は専業の指揮者はいなくて、独奏者やコンサート・マスターが共同で合図を送るだけでした。中でも、鍵盤楽器が低音や和声を補強しながらオーケストラをリードするのは特別な形ではなかったのです。そして、この役目はとても重要なものと考えられていました。モーツァルトがお父さんに宛てた手紙の中にも次のようなくだりがあります。「・・・解決しておかねばならない問題があります。それは私が今までのようにヴァイオリンのポストに置かれるのはいやだということです。私はもうヴァイオリン弾きではありません。私はピアノに座って指揮したり、アリアの伴奏をしたりするのです。・・・」さすがのモーツァルトも自分より上位に位置する鍵盤楽器奏者の存在が我慢できなかったようです。モーツァルトの自信とプライドの現れなのでしょう。
(2002/11/06)[産業文化祭]西那須野町町民ホール(通称三島ホール)において、産業文化祭音楽祭が11月17日(日)14:00〜17:00に開催されます。出演順で、南コーラスコスモス、ハーモニーホールオーケストラ有志(木管アンサンブル)、アルス兄弟(ギター&ピアノ)、むくどり五重奏団(ピアノ五重奏)、ハーモニカトリオ「アフィー」、あるぺじお(ギターアンサンブル)、ハーモニカアンサンブル「カプリス」、コレガ・リベラ(リコーダーアンサンブル)、なかがわトロンボーンアンサンブル、あざみコーラス、那須ハングリーアンサンブル(ピアノ&管楽器)、モーツァルト合奏団(弦楽アンサンブル)と12団体の多彩な演奏がお楽しみ頂けます。各グループ持ち時間が15分を目安にしています。私は、むくどり五重奏団のメンバーとして、かねてから思いを馳せていたシューベルト作曲ピアノ五重奏曲 イ長調 《ます》作品114(D.667)第1楽章および第4楽章にチャレンジします。但し、時間の関係で繰り返しは行いません。一昨年前はピアノ三重奏、昨年はピアノ四重奏、今年は更に1人増えてますます賑やかになったむくどり五重奏団。少なくとも、人数だけは着実にのびています。また、モーツァルト合奏団では、親しみやすい曲として、ルロイ・アンダーソン作曲のシンコペーティッド・クロック、ワルツィング・キャット、プリンク・プリャンク・プランク、ブルー・タンゴ、ソリすべりの5曲を楽しんで頂こうと思っています。最後に、お客さんもご一緒に『もみじ』を大合唱します。皆で作るアットホームな雰囲気の音楽会です。是非、足をお運びください。お待ちしています。ちなみに、入場は無料です。
(2002/10/30)[幸せいっぱいの《ます》]シューベルト作曲のピアノ五重奏曲 イ長調 《ます》 作品114(D.667)は、22才のシューベルトの幸福に満ち溢れた気持ちを生き生きと写し出す作品です。シューベルトは作曲家として自立して5年、エステルハージ伯爵の2人の令嬢の音楽教師をしていました。1819年の夏に歌手のヨハン・ミヒャエル・フォーグルと一緒にフォーグルの故郷である北オーストリアのシュタイヤーに訪れたシューベルトは、音楽を愛好するシュネルマン博士の家に滞在し、博士の娘達や友人の歌の伴奏をして楽しい日々を送りました。博士の友人でアマチュアのチェロ奏者のジルヴェスター・パウムガルトナーから依頼を受けて創った曲が《ます》です。静かな美しい自然の中で、清流に遊ぶ魚をスケッチされたものです。この曲の特徴の一つに編成の特殊性があります。通常ピアノ五重奏曲は弦楽四重奏とピアノで構成されていますが、《ます》は第2ヴァイオリンの代りにコントラバスを用いています。これはフンメルのピアノ五重奏曲と同じ編成にするよう依頼を受けたものによるそうです。もう一つの特徴として、第3楽章スケルツォの後に終曲ではなく、自作の歌曲《ます》の主題による5つの変奏曲を第4楽章に挿入したことで全体が5楽章となっていることです。1817年に創られた歌曲はC.F.D.シューバルトの詩につけたもので、「明るい小川でさっと軽やかに矢のようにすりぬけるます〜」と歌われています。この軽快さが表現できるといいですね。
(2002/10/23)[楽器の制約と奏者の技量]バイエルン選帝候としてミュンヘンに移ったカール・テオドールからの依頼で1781年の謝肉祭シーズンのオペラのために創られた『イドメネオ』の上演後、父親の病気見舞いのためにウィーンに長期滞在していたコロレド大司教からお抱え楽師のピアニストとして呼ばれたモーツァルトは、ウィーンに移る前からの親しい間柄だったザルツブルク宮廷ホルン奏者ロイトゲープのために4曲のホルン協奏曲とホルン五重奏曲を創っています。ロイトゲープはモーツァルトのパトロンであったばかりでなく、冗談のよきお相手になって貰っていたようです。特に1782年に作曲したホルン五重奏曲変ホ長調KV407は、ヴィオラを2本取り入れた構成で、ホルンの独奏的な取扱いからみても、ホルン協奏曲に相応しいものと捉えることができると思います。モーツァルトの時代のホルンはヴァルトホルンと呼ばれる無弁のものでしたので、楽器の制約と奏者の技量を熟知した曲創りをしていたかが分かるのです。
(2002/10/16)[克服]ステージでは堂々と楽しそうに演奏をされている方でも色んな問題に遭遇することがあるようです。例えば、千住真理子さんは高校生の頃、本番であがってしまい、めろめろになってしまう状態が続いたそうです。そこでへその下の丹田に意識を置くことで落ち着くことを考え、なりふりかまわずステージ衣装の下にタオルをお腹に巻いて演奏したそうです。高嶋ちさ子さんは、首の関節で神経が圧迫され右手の血流が妨げられ、右手がみるみる細くなっていき動かなくなってしまうという演奏家にとっては致命的な状況を経験をされたそうです。ありとあらゆる診断・治療を試みてみても直らず途方にくれているある時に、整体師さんに処置してもらったら、血がすーっと流れ始める感覚が分かったそうです。メンタルに或いはフィジカルに悩みを抱えている方でも、夫々に工夫して大きな問題を克服されているんですね。こんな話を聞いていると、普段感じている悩みなど取るに足りないちっぽけなものに思えてくるのです。
(2002/10/09)[アンサンブルの楽しさと厳しさ]ソロの演奏と異なり、アンサンブルは自分の音を生かしながら、周りの音と協調していくことがとても大切です。指揮も無く掛け声も掛けずによく揃うと感心することがあるかもしれませんが、これは一朝一夕にできるものではなく、音を出す前の周りの人の構えかたや息遣いなどから音の出方を予測するのです。そして、相手の弾き方を受けそれにどう応えて表現するかを常に考えながら曲を創り上げていくのです。長い時間をかけ、練習を積んでいかないとこの予測ができないのです。予測がぴったり合って、見事に同調することの楽しみは一言では言えないものがあります。ややもすると、周りのあら探しやいじめとも取られかねないくらいに厳しく思えることもあります。でも、そのくらいしないと微妙な掛け合いを気持ちよく合わせることができないのです。いい音楽を創るために一所懸命に改善点を議論し合っているのを見ると、一見仲が悪そうに見えることがあるかもしれませんが、実はとても仲がいいんですよ。
(2002/10/02)[ピアノ調律]フィレンツェのメディチ家で楽器保管係で自らもチェンバロを製作していたバルトロメオ・クリストフォリは、チェンバロの音の強弱のが無いのを不満に感じ、ハンマーで直接弦を叩いて音を出すピアノの原形を造りました。その後、ハンマーが打弦した直後、弦の振動を妨げないために、ハンマーを瞬時に元の位置に戻し、次の打弦に備える「エスケープメント」と呼ばれるメカニズムがピアノ奏法を大きく変えてきました。更に、フランス革命で大衆化した音楽は大ホールでの大きな音量を必要とするようになり、ハンマーは重くなり打弦力は強くなり、次に弦の問題が出てきたのです。ダイヤモンドダイスによる強い鉄製の弦が作られると最後にそれを支える木枠の強度が不足するようになり、現在使われている鋳鉄メタルフレームが生まれたのです。このようにピアノが生まれて300年、日本で造られるようになって100年とまだまだ短いものですが、その間の改良は目覚しいもので、8000個あまりの部品を使うに至っているのです。しかも、重要部品に木材や羊毛や皮革などの天然素材を用いているために、温湿度からの影響は20トンにも及ぶ230本の弦の張力とも相俟って、音程の低下やタッチの変化に結びついているのです。この精密機械を最高のコンディションで使うためにも調律は欠かせないのです。いい演奏をするために、いい音を出すために、楽器を大事にしてあげてくださいね。
(2002/09/25)[若きピカソの知られざる側面]絵画において破壊者とまで言われ、『ゲルニカ』などの不思議で難解な問題作を描き、晩年には「ようやく子供のような絵が描けるようになった。ここまでくるのに随分長い時間がかかったものだ」という言葉を残し、子供が描けそうな作品を残した天才パブロ・ピカソにも、意外な知られざる側面がありました。上野の森美術館で2002年9月21日(土)から12月8日(日)まで、ピカソ 天才の誕生と称して、バルセロナのピカソ美術館の全面的な協力の下、日本初公開の習作やスケッチやデッサンなど約200点の作品が展示されています。初めて覚えた言葉が「鉛筆」で、13才ころに描いた石膏像やレリーフの習作は、その才能の豊かさを表しています。14才のときに描いた『初聖体拝領』に描かれた写実的で表情豊かな人、レースや絨毯の質感などは、本当にピカソが描いたもの?と疑いたくなるのは私の片寄った偏見からくるものでしょう。絵の教師をしていたパブロ・ピカソの父も、息子の才能に気付き、自分の画材を全て息子に与え、息子の才能を育てていく姿は、まるでヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父レオポルトを見るようでした。若きパブロ・ピカソが描いた父のポートレートや情けない姿のヴァイオリン弾きやあからさまな性描写や暗い妹の死などテーマに沿った作品展示がしてありますが、意外に多くの自画像があり、自らを見つめ続ける姿勢も窺えます。彼も神と自分には素直だったのでしょうか?
(2002/09/18)[マリエン教会]フランス語で隣人愛という意味の慈善病院「シャリテー」がペスト患者収容所から1810年にベルリン大学のクリニックとしてスタートしましたが、その教授陣の中に結核菌の発見者ロベルト・コッホがいました。北里柴三郎や森鴎外はコッホ教授から多くの影響を受けたと言われています。このベルリンを舞台に描かれた森鴎外の小説に「舞姫」があります。ベルリン市内を流れるシュプレー川の近くに厳かに建つゴシック様式のマリエン教会もその舞台の一つと言われています。マリエン教会は、すぐ近くのベルリン大聖堂(ベルリン・ドーム)に比べると小さく見えますが、古文書には1294年に既に登場しており、その歴史の古さを感じます。1484年のペスト大流行のときに描かれたと推測されているフレスコ画「死の舞踏」は、ベルリン最古の芸術作品の一つで、高さ2m長さ22mにもおよんで神の怒りを表し、「死はだれにでも訪れる、どのような階級の人間にも」というモチーフで輪舞している情景になっています。祭壇と対峙するここのジルバーマン・オルガンは、J.S.バッハ(1685-1750)も演奏したそうです。バッハが最近の人のような気がしてきますね。
(2002/09/11)[都合により一回休み]
(2002/09/04)[古くて新しい旋法]1オクターブの同音の音から音までの間を区切ることを音階と言い、その区切る方法を旋法と呼びます。現在私達がよく聴く1オクターブの区切り方が、楽しく聴こえる長音階と悲しく聴こえる短音階です。特徴は最小の音程である半音と、半音2つ分の全音の音程が一定の順序で並んでいることです。長音階か短音階かを決めるのは音程の並び方です。長音階はドから1オクターブ上のドまで、3番目と7番目に半音が来て残りが全音になります。つまりミとファの間およびシとドの間が半音になります。これをイオニアン・モードといいます。次に短音階は、ラから1オクターブ上のラまで、2番目と5番目に半音が来て残りが全音になります。こちらも長音階と同じようにミとファの間およびシとドの間が半音になります。これをエオリアン・モードといいます。古代ギリシャの音楽がローマに伝わり中世のローマカトリック教会に残り、ギリシャ名のままで、イオニア、ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディア、エオリア、ロクリアの7つの旋法となったのです。今でもカトリック教会では聖歌に使われています。バッハの時代から20世紀初頭までの200年間は長音階と短音階の2つの旋法に偏った時期でした。私たちはその時期の作品をよく聴くので、この2つの旋法しか知りません。バッハ以前の別の旋法の曲も膨大にあります。20世紀の作曲家は2つの旋法では飽き足りなくなり、昔の旋法に注目しました。これが逆にバッハ以前の旋法を新鮮な響きに感じる理由です。不思議な響きや広がりを感じたり、予期しない流れや跳躍により、わくわくするものが実は古くて新しいものかもしれませんね。
(2002/08/28)[音楽療法士]モーツァルトの時代は病気を治すときに体の中の悪い原因を取り除けばよいと考えられていました。その中の一つとして、しゃ血といわれる患者の体内から一定量の血液を取り除く方法として、沢山の蛭(ヒル)を皮膚に置き血を吸わせたそうです。モーツァルトもこの治療を受けたそうです。ところで、整体、鍼、灸、芳香、気功、運動療法、瞑想、漢方、健康食品、リラクセーション、マッサージなどと同様のいわゆる代替療法の一つとして音楽療法がようやく日本でも広まりをみせはじめています。とは言っても国家資格としての認定は未だ無く、1995年に日本音楽療法連盟の認定音楽療法士が433名誕生したばかりだそうです。音楽療法専修のカリキュラムには、医学関連の専門科目のほかに、ピアノや合奏、合唱、ソルフェージュ、即興演奏などもあるそうです。クライアントの求める音楽を臨機応変に対応し、コミュニケーションを図ることが重要になるそうです。これからこの分野が大きく発展していくことを期待したいですね。
(2002/08/21)[ペール・ギュント]ノルウェーの文豪ヘンリック・イプセン(1828-1906)が創った全5幕からなる戯曲『ペール・ギュント』のためにエドヴァルド・グリーグ(1843-1907)は劇付随音楽の作曲を依頼されました。劇上演後23曲(再演を含めると26曲)からなるこの曲は作曲者の手によって私達が今日よく聴く2つの組曲の形に転用されました。劇のストーリー展開は、豪農の父が散財し残された母と貧乏暮らしをするペールが、昔の恋人イングリッドの結婚式でおおぼらを吹き、からかわれそのはらいせにイングリッドを連れ去り飽きて置き去りにしてしまい、D《イングリッドの嘆き》が歌われます。ペールが逃げ込んだC《山の魔王の宮殿にて》魔物たちがペールを呑み込もうとする恐ろしさを描き、息子を溺愛する母オーゼの元に帰りますがA《オーゼの死》が待っていました。心機一転アフリカに渡りモロッコの広陵とした砂漠の@《朝》を迎えます。アラビアの砂漠で乙女たちのE《アラビアの踊り》を見ます。予言者として尊敬・信頼・富を獲得したペールを狙うエキゾチックなベドウィン族の酋長の娘B《アニトラの踊り》マズルカのステップに酔いしれるのでした。その後、野外の陽の下で布を織る故郷に残したG《ソルヴェイグの歌》を夢見て望郷心が湧いてくるのです。(演奏も歌も舞台裏)カリフォルニアの金鉱で巨万の富を得た、老F《ペール・ギュントの帰郷》は最後にノルウェー間近で嵐による船の難破の為に無一文となってしまいます。白髪となったG《ソルヴェイグの歌》が無伴奏で歌われ彼女の愛によってペールは救われるのです。○印の番号の順で4曲ずつ組曲にされたものは、戯曲の順序に従ってはおらず、管弦楽組曲として音楽を独立させたものとなっています。特に純音楽的に捉えたカラヤン/ベルリンフィルの演奏は、冷静で客観的と言われています。マリナー/アカデミー室内の演奏は緻密で抒情的で表情豊かなのにとても聴きやすいものです。歌も入れて演奏することもあり、オッテルロ/ハーグフィルハーモニーは北欧の香り漂う演奏に増してエレナの歌はとても癒されます。
(2002/08/14)[音楽はイマジネーション]1932年にパリ音楽院入学2年目にして卒業演奏で一等首席を勝ち得た原智恵子さんは、1937年ポーランドで行なわれた第3回ショパン国際ピアノコンクールに参加し、21ヶ国250名の中から第15位ではあったものの『聴衆賞』というとても嬉しい特別賞を貰っています。日本では正当な評価を得られず、辛い日本生活を送らざるを得ませんでした。『人の噂も七十五日』と言いますが、一度貼られたレッテルは一時的なものにはならず、日本では結局歪められた論評に泣かされてしまうのです。でも、幾つもの偶然からガスパール・カサドと出会い、カサドと結婚し、真価を発揮できるようになるのです。カサドは、カザルスからチェロ、ラベルから作曲の手ほどきを受けました。カサドが生まれたスペインのバルセロナは、歴史的な巨匠を排出していることで知られています。例えばチェリストとしてパブロ・カザルス、ピアニストのアリシア・デ・ラローチャ、作曲家のアルベニスやグラナドス、そのほかミロ、ガウディ、ダリ、ピカソなどが代表的な人たちです。カサドの死後3年目の1969年にフィレンツェ市の援助によって『カサド国際チェロコンクール』が実現するのです。原智恵子さんの音楽教育の考え方として、次のようなことが述べられています。「音楽はイマジネーションですから、情操的な感受性がないと完璧な演奏があっても感動が伝わりません。子どもたちに、精神的に豊かな生活をしてほしい。なにも見ないで、感じないで、机にかじりつくだけではだめなんです」情操的な感受性は大切にしていきたいですね。
(2002/08/07)[真夏の夜のマズルカ]マズルカ(Mazurka)は、18世紀から19世紀にかけてヨーロッパ中に広まりました。最初は、ポーランドの舞曲として親しまれ、3拍子でゆっくりとした速度からとても速いものまで色んな速さがありました。これは、3つの踊り「オベレク」「マズル」「クヤビヤク」から強い影響を受けているそうです。お百姓さんたちがゆっくり回りながら踊るのが「オベレク」で、貴族たちが大広間で生き生きと踊るのが「マズル」で、男女二人でゆらゆらと踊るのが「クヤビヤク」です。その中でも3拍目にアクセントを持つ「マズル」は、他と比べて特殊でした。マズルカは後に、芸術的な音楽作品の素材として用いられ、特にショパンのピアノ作品は際立ってそびえたつものです。様式の特徴を示し、時には高等な半音階的な技術を駆使し、難解で表情豊かなピアニストの意図が表現されます。ジョルジュ・サンドによりますと、ショパンはポーランド伝説にある悪夢の亡霊と共に生きた音楽家で、マズルカはその亡霊を表現したものだったそうです。だから、とてもロマンチックなのにどことなく寂しさが漂っています。暑い真夏の夜にお似合いでしょうか?
(2002/07/31)[最高のもの]1763年以来2度目となったモーツァルトのマンハイム訪問は、1777年10月30日からの4ヶ月半に及びました。1770年代はそれまでのフランス文化志向から一転して、ドイツ人の台本・作曲・歌手・上演によるドイツ的な芸術運動が盛んに繰り広げられました。ドイツ語オペラの運動を中心になって進めたのがホルツバウアーでした。1777年11月14日付けでモーツァルトが父宛てに書いた手紙の中で、「ホルツバウアーの音楽はとても綺麗です。」「ホルツバウアーのようなご老体が、まだものすごく活気をもっていることで、音楽には信じられないくらいの激情が見られるからです。」と感動と興奮が書き留めてあります。しかし、「詩のほうはこうした音楽にはふさわしものではありません。」と言っています。モーツァルトがオペラにおける劇と音楽の関係によく引用される手紙の一節として「オペラにおいては、詩は絶対に音楽の忠実な娘でなくてはなりません。」と言っています。これは曲に引けを取らないくらい、台本の詩はとても大切なものであることを言っているそうです。常に最高のものを求め続けるモーツァルトの姿勢が窺われますね。
(2002/07/24)[新たな感動]或るオーディオメーカの会長さんが言われた言葉に次のようなものがあります。「大曲偏重がクラシック音楽から客足を遠ざける」「小品で味のある演奏ができなかったら、本当に優れた音楽家とは言えない」「弾きたいものだけじゃだめだ、聴きたいものを弾かなかったら絶対に成功しない」「ただお客さんに媚びるんじゃなくて、お客さんがホッとして喜ぶようなものの中に、新しい刺激的なものをそっと忍ばせる」これは、顧客満足(Customer Satisfaction)の原点とも言うべき基本的な考え方ですね。演奏会をやる度に、大勢のお客さんがいらっしゃっていると、その緊張感は益々高まりますが、多くの方に楽しんで頂けることの満足感も確かにあるのです。全く同じ演奏は二度とできないものですから、その度毎の違いの楽しみもありますし、ポピュラーな曲でも何度も聴いて楽めることもあります。場合によっては、演奏者が意識していないようなところで、聴衆の方の深い解釈があったりすることもあります。得てしてそのようなところから新たな感動が生まれてくるのではないでしょうか。
(2002/07/17)[狩]1781年8月の末ウィーンのグラーベンに家具付の部屋を見つけ移り住み、ウィーンの生活も4年目に入り作曲、演奏会、ピアノ教師、楽譜出版など多忙な日々を送っていたモーツァルトは、《狩》の名で親しまれている弦楽四重奏曲第17番変ロ長調KV458、所謂ハイドンセットの第4曲を1784年に創りました。第1楽章のAllegro_vivace_assaiは、狩の音楽によく出てくる8分の6拍子で、変ロ長調の明るさと相俟って躍動感溢れるメロディの冒頭主題が狩猟のときに使われる角笛の響きに似ていることもあってこの副題がつけられたようです。自信と幸福に満ち溢れたモーツァルトの心持ちが生き生きと描かれているように思われます。構造も複雑で、Vn1の冒頭主題と同じリズムを半小節毎にVn2,Vn2&Va,全員,Vn2&Vc,Va,Vc,Vn2&Vc,全員という具合に、僅か4小節の間でめまぐるしく切り替えていくのです。かと思うと、4小節でVn1,Vn2,Va,Vcと降りてきて直ぐに2小節でVc,Va,Vn2,Vn1へと駆け上りながら引き継いでいきます。また、Vn1の流れるような16分音符や4小節半に及ぶ前打音を伴ったトリルなどもスピード感を引き立てる特徴的な音形です。本当に興味尽きない魅力的な作品です。
(2002/07/10)[サンライズ]台風6号は大きな被害をもたらしています。このHomePageを開設して間も無い頃の集中豪雨による那須地区の災害を思い出してしまいます。自然の猛威を前にして成す術を持たない人間の存在が小さく見えてしまいます。ところで、梅雨時は長雨と気温の上昇で大気中の水分の量が高くなってしまいます。この高湿状態は弦楽器にとって難しいものです。楽器が響きにくく、演奏に苦慮します。実は高湿状態は梅雨時に限ったものではなく、雨や雪が降って聴衆の方がホールに入場されることによっても、ホールの湿度が上がってきます。狭い部屋に多くの人が入る場合も人の吐く息で同じような効果があります。また、絵画などのひび割れを防ぐための加湿機能を備えた空調のあるギャラリーなどでは冷房されても湿度をある程度高い状態に保つことがあります。ところが、天満敦子さんが弾いておられるストラディヴァリウスはどうも様子が違うようです。これは本体に黒檀と貝細工の象嵌が施されたその装飾から『サンライズ』と呼ばれる1677年に製作されたものだそうです。サンライズは雨の日の方が鳴りが良く、その理由は楽器やさんも良く分からないようです。不思議なこともあるものですね。
(2002/07/03)[演奏]演奏に関する言葉を捜してみますと沢山あるのに驚きます。つまり、演奏とは「人前で歌ったり楽器を奏でること」という単純なものではないと言うことですね。例えば、execute創作するinterpretation解釈する,演出するgive a performance興行するrender表現するgive a recital演奏会を催すhit it up楽器をやる,頑張るperform演じるplay遊ぶ,するplay music演奏するrepresentation上演,描写などが挙げられます。確かに、演奏とは知的好奇心をくすぐる要素もあり、感覚的に刺激や緩和をする性質もあり、肉体的にも精神的にも相当のエネルギーを消費することもあり、高い次元を求めたり和やかに楽しむような幅広さを持っていたり、同調的な共感や新鮮な発見による感動が得られることもあります。個人やグループの自己研鑚や陶酔的な内面中心の要素と興行や教育などの外向的なものがあります。他からの解釈を試行や模倣したり、自分なりの個性を表出することもあるでしょう。芸術性や技術・技量的な問題や楽器の特性や演奏する環境、更には聴衆の反応なども大きく影響することもあります。二度と戻らないその瞬間が大きな意味を持つ時間芸術の特殊性もあります。また、視覚情報に比べ聴覚情報は極端に少ないので、聴覚だけに訴えるのか、それとも視覚的な表現効果も併せ持つかによって随分変わってきます。これらの様々な要素を意識する場合もあるでしょうし、意識しないで感性の赴くままに表現する場合もあるでしょう。意識過剰で本末転倒にならないようにしなくてはいけませんね。
(2002/06/26)[小鳥達の恵み]自然を愛するドイツのシレジア地方には「小鳥の結婚式」という民謡があるそうです。沢山の小鳥の名前が出てきて、まるで鳥類図鑑のようです。
「小鳥が緑の森で、結婚式を挙げようと思った。鶫(つぐみ)が花婿、黒うた鳥が花嫁。雲雀(ひばり)は花婿を教会に案内し、大雷鳥は司祭様、四十雀(しじゅうから)はキリエと歌い、鵞鳥(がちょう)と鴨(かも)は音楽隊。孔雀(くじゃく)は花嫁と最初のダンスを踊り、連雀(れんじゃく)は花嫁に花の冠を捧げる。七面鳥は口を尖らし、花嫁の母の梟(ふくろう)は別れの挨拶。あとりが二人を部屋に導き、みみずくは鎧戸を閉め、蝙蝠(こうもり)は花嫁の靴下を脱がし、めん鳥がおやすみと鳴いて、部屋の扉は閉められた。」
ドイツ民謡の「かっこう」も日本ではとても馴染み深い曲です。また、フランスのクラブサンの名手ルイ=クロード・ダカン(1694-1772)が創った「かっこう
ホ短調」はかっこうの鳴き声を3度の音程で模倣し、16分音符の動きで曲を構成しているピアノピースの名曲として良く知られています。歌が上手な小鳥達は、私達の生活に密接に関わり、心に多くの潤いと恵みを与えてくれているんですね。
(2002/06/19)[バッハの四季]J.S.バッハは、1717年〜1723年のケーテン宮廷楽長として協奏曲や管弦楽曲や室内楽曲を作曲し上演していた時期を除いて、ほぼ一生を通して宮廷音楽教会の暦に従って毎週四季折々の生活に密着した200曲を超す教会カンタータや世俗カンタータを作曲し演奏し続けました。クリスマス、顕現節、謝肉祭、聖金曜日、復活祭、昇天祭、聖霊降臨節、聖ヨハネの日、夏の夜祭、秋の収穫祭、待降節を経て再びクリスマスと繰り返されていきます。6月22日は一年の内昼の長さが最も長い夏至に当りますが、古い暦では6月24日に当り、その前夜の6月23日の夜に豊穣を祈る火祭を催し、クリスマスをキリストの誕生日としたのに対しこの日をヨハネの誕生日として祝ったそうです。バッハは、「聖ヨハネの日」のために『喜べ、救われし群よ』BWV30というカンタータを創っています。厳しく長い冬に対し、短い夏を精一杯謳歌するドイツの人達の生活が伺われるバッハの描いた季節感でもあるのです。
(2002/06/12)[バロック風《日本の四季》]来る6月16日(日)12:30より西那須野町町民ホールにおきまして、文化協会主催の舞台芸術部門のチャリティ発表会を催します。これは、教育委員会生涯学習課が事務局として、住民の皆さんに芸術や文化にふれる機会を提供する目的の一環として、また、さらなる芸術や文化の振興と発展のための資金となる文化振興基金に寄与するために文化協会舞台芸術部門の会員によりますチャリティとして、入場整理券と1,000円をこの基金に充てているものです。内容は、筝曲、素謡と仕舞、合奏、舞踊、民謡、吟詠剣詩舞、バレエとバラエティに富んでいて、モーツァルト合奏団でも弦楽合奏を楽しんで頂こうと考えています。早川正昭さんがヴィヴァルディの《四季》に相当する形で、広くお馴染みの日本の曲を素材にバロック風に作曲した弦楽合奏曲です。今回はその中から、『春』から「花」、『夏』から「我は海の子」、『秋』から「村祭り」、『冬』から「雪」と「春よ来い」の5曲を演奏します。バロック風《日本の四季》を是非お楽しみください。
(2002/06/05)[コラボレーション]アジアで初めて開催されますFIFA World Cup Soccerの話題で世界中が沸き上がっています。世界32ヶ国から感動と興奮を運ぶため、優れたプレイヤー達が日本と韓国に集ってきています。日韓2ヶ国共同開催や子供のエスコートによる選手入場などの工夫が凝らされた本大会は、色んな思いが込められているようです。開催に先立ち、ヨーヨー・マ&マーク・モリス ダンス・グループ ガラ・コンサートの記念公演をオーチャード・ホールで楽しむ機会を得ました。モダン・ダンス界のモーツァルトと称されるシアトル生まれのマーク・モリスが1980年に結成したこのダンス・グループが今回初来日し、ヨーヨー・マの芸術性溢れる演奏とのコラボレーションを楽しませてくれました。特に、「フォーリング・ダウン・ステアーズ」と題された演目は、J.S.Bachの無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調BWV.1009の演奏と融合し、両者のビジュアル的な楽しみも倍増します。プレリュードの出だしのハ長調の下降音階に合わせて、舞台中心に設置された階段から一気にダンサーが滑るように落ちてきて床にひれ伏したり、手の動きだけでフーガを表現するなどとても印象的なダンスでした。また、人種やジェンダーを越えた取り組みも興味深いものです。サッカーの予選リーグも日本チームは初戦ベルギーと2対2のドローながらも初めてのポイントを獲得し、6月9日(日)にはロシアとの第2戦を控え、益々盛り上ってきています。サッカー試合中の激しいぶつかり合いもよそに、試合終了後は握手を交わしたりユニフォームの交換をする姿はもう一つの清々しい感動を伝えてくれますね。これも一流のコラボレーションなのでしょうか。
(2002/05/29)[もう一つのルバート]ルバート(Rubato)とは、「音楽表現の要求に従って軽く速度を速めたり遅めたりしながら、しなやかに或いは柔軟に拍子を変える」ことを意味していますが、実際には2種類の意味のルバートが考えられます。旋律のみに適用される場合と音楽構造全体に適用される場合があります。ルバートは、1800年頃には拍子よりも寧ろダイナミクスの変化をつける意味に用いられました。例えば、4拍子で通常の弱拍の2拍目や4拍目にアクセントをつけるものです。ショパンは彼のマズルカやマズルカ様式の旋律の中で「ルバート」と指示するときに、この演奏方法を意味したと考えられます。マズルカの厳格なリズムは拍子の変化を排除し2拍目や3拍目に予期しないアクセントを進んで認めていると思われます。同じ言葉でも色んな意味があり、或いは変化をしていくものですね。
(2002/05/22)[テンポ・ルバート]テンポを柔軟に伸縮させて音楽表現することをテンポ・ルバートと言います。音楽用語で最も定義が難しいものと言われています。モーツァルトの1777年10月24日の手紙の中で、オルガンやピアノを製作しているシュタインさんの8才半の娘マリーア・アンナのピアノ学習について、「音楽で最も必要で最も難しく、主要なことはテンポ(拍子)です。私が常に正確に拍子を守っていることに、皆が驚いている。アダージョでのテンポ・ルバートで、自分の演奏では左手が全く関知していないことを彼らは理解できない。彼らの演奏では(右手に引きずられて)左手がついていってしまう。」と言っています。モーツァルトの最も貴重な音楽観を表わしたものの一つと言ってよいと思います。ショパンでさえも「左手は指揮者で、動揺してはならぬ。」と言い、リストはショパンの演奏を「枝や葉は風にそよぐが幹は動じない。」と評し、シューマンは『音楽と音楽家』の中で「大家たちの演奏は酔っ払いのようにふらふらよろめく、それを模範としてはならない。」と同様のことを教訓として言っています。演奏に没頭している中で、客観的に自分を見れるといいですね。
(2002/05/15)[写譜の効用]宗教歌曲が多く世に伝えられている理由として教会が地域信仰を広め後世に残す方法として楽譜に記録保存することに熱心であったからだと言われています。とは言っても、初期の羊皮紙では薄く質も悪く、細かい音符を記述することは大変な事だったでしょう。現在では、著名な作曲家の自筆譜がフォトコピーにより忠実に再現され、一般の人の目にも届き易くなり有り難いことです。それどころか、ソフトウェアが進み電子的に楽譜を作成したり、演奏したものをそのまま楽譜に落としてくれるほどになりました。勿論、写譜の苦労も誤った転記もなくなる訳です。ところで、バッハは幼い頃、お金が無くお兄さんの大切にしていた楽譜を月の光で写譜して曲を覚えながら勉強することによって自分を磨いていったといいます。教育にも熱心だったバッハは弟子達に写譜させ勉強させたのです。これは、機械的な作業ではなく、「精神を込めて書けば、楽譜は直ちに頭の中で音に変わり、写し終えたときに、その音楽を既に体得している」ということを自ら会得し、インヴェンションを通して弟子達に伝えたのでした。やはり苦労した分だけ得られるものも大きいわけですね。
(2002/05/08)[タングルウッドで能の面]ボストン郊外で7月〜8月に行われますクラシックのサマースクール的存在がタングルウッド音楽祭です。応募すれば誰でも入れて見学するだけのオーディタークラス、書類選考から2次審査をクリアした人がレッスンを受けられるセミナークラス、更に3次審査で選ばれた3人と前年優秀だった1人が費用免除のフェローシップクラスがあるそうです。指揮クラスでフェローシップに入った佐渡裕(さどゆたか)さんが、レナード・バーンスタインさんのレッスンを受けたときのエピソードです。演奏直後にバーンスタインさんが「渋い」と叫び、握手を求めてきたそうです。この握手が超スローで距離を縮めていくもので、その動きと佐渡さんの表情の中にバーンスタインさんは「能の面」を見たそうです。見た目には静かな動きの中に秘められる膨大なエネルギーを感じ取ったそうです。バーンスタインさんが日本人の持って生れたこのような特質を評価したことにより、佐渡さんは西洋音楽でも日本人の感性で解釈し表現することの大切さを学び取ったそうです。日本にいたら分からなかったかもしれませんね。
(2002/05/01)[原典版]1895年ベルリン王立アカデミーにより編集された『クラシック音楽原典版』で初めて原典版(Urtext)という言葉が使われたそうです。自分の考えによる解釈やその時代の好みや演奏のしやすさなどを演奏に反映させるため、指使いや強弱やスラー、スタカートなどによる指示を付加した色んな楽譜が氾濫してきました。そこで19世紀にブライトコプフ社が59巻にも及ぶバッハ全集の偉業を成し遂げたことは称えられるものです。その後の新しい発見や研究により20世紀にベーレンライター社が新バッハ全集を刊行しました。これに対し、入手しやすく、演奏できる楽譜として作られたのが原典版です。特に実用的な原典版としてペーテルス社は音楽を学ぶ人に多くの楽譜をペーテルス版として供給しています。作曲者自身の意図を示す『原典』に対し、『原典版』は原典を調査究明し、所謂原典批判を行いその過程を解説する必要があるわけです。例えば、シューベルトのピアノ五重奏曲イ長調作品114『鱒』の第1楽章Allegro_vivaceにおいて、第二主題Bをピアノが84小節から始め、それを受けてヴァイオリンが93小節から始めるところで、敢えてテーマの付点のリズムをなくす部分が89小節と96小節に出てきます。ベーレンライター版の“Urtext_of_New_Schubert_Edition”ではそうなっていますが、ペーテルス版では89小節のピアノの方が付点のままになっています。作曲者のみぞ知る真実に如何に迫るかが原典版の醍醐味なのでしょう。あなたはどちらがお好きですか?
(2002/04/24)[ホールの特性]楽器が共鳴箱で豊かな音を実現できるのと同じくらい、ホールの響きは大事なものです。@音の大きさのレベルが一定になるまでに要する時間A音の大きさが一定になったときの音の大きさのレベルB音が聞こえなくなるまでに要する時間の三つの要素で部屋の中の音エネルギーの総吸収量が決まります。特に重要なものがBで残響時間と呼ばれます。ホールの容積・形状や天井・壁・床・座席などの材質による吸音率の違いで残響時間が左右されます。ライプチッヒ聖トーマス教会は60万立米で満席時に2.5秒の残響時間を誇る合唱音楽に適したホールです。オーケストラに適するには2秒、室内楽に適するには1.5秒と言われています。但し、容積が小さいほど残響時間も短く6万立米で満席時に1秒程度の残響時間が相応しいようです。吸音材の特性によっては全ての振動数を一様に吸収できるような直線的吸音性を示すものもあるそうです。吸音率はおおよそ、しっくいの天井や壁で0.04じゅうたんで0.4一人の聴衆で4と大きく異なります。あなたの近くのホールは何に適したホールでしょうか。〔四周年記念:13,408名のご来場有り難うございます〕
(2002/04/17)[オルガン・トーンの秘密]カール・ベームが記者会見で「ウィーン・フィルのオルガン・トーンの秘密は友情だ」と答えたそうです。ウィーン・フィルがffで長い音を出すとパイプオルガンのような響きがするのです。例えば、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』の第1楽章の終わりに近い所で、オーケストラ全体で一斉にロングトーンをだすところなどは本当にオルガンを鳴らしているかのような錯覚にすら陥ってしまうほどです。これは、師弟間で代々引き継がれる技法と音色が成せるものだそうです。しかも、音程よりも倍音をたくさん含む太い音とバランスに秘密があるらしいのです。とりわけ、一つ一つの音に対し、オーケストレーションの中での音の重ね方に気を配るために徹底的にスコアを勉強し、他のパートが何をやっているかを知り尽くすそうです。これぞ、ウィーン・フィルのオルガン・トーンの秘密なのです。そしてウィーン・フィルのアンサンブルの秘密でもあるのです。私たちも多いに見習わねばなりませんね。
(2002/04/10)[ウィーン・フィルの魅力]「ウィーン・フィルのメンバーは趣味で定演をやっている」って知ってますか?オットー・ニコライが1842年3月28日にフィルハーモニック・アカデミーとして演奏会を開催したのが始まりでした。国立歌劇場の『座付き楽団員』であったメンバーたちが自発的に始めたのが、ウィーン・フィルの活動だそうです。国立歌劇場の団員として給料を貰っていますが、ウィーンフィルとしては基本的には無給なんだそうです。つまり、趣味で楽しんで演奏しているからこそ、音楽性も豊かになるんですね。ニュー・イヤー・コンサートでの楽しそうな演奏は聴くもの全ての心を豊かにしてくれます。プロもアマも関係なく、音楽は楽しくやらなきゃ駄目なんです。今でも音楽監督や常任指揮者を置かず、頑固なまでに伝統と信念を貫きとおしているのです。これが誇り以外のなにものでもないのです。これがウィーン・フィルの魅力の源泉となっているのでしょう。
(2002/04/03)[ラフマニノフの魔力]新聞記者から脚本家を経て映画監督となったビリー・ワイルダーさんは3月27日(水)95才で逝去されました。『七年目の浮気』等でマリリン・モンローを一躍世に引き出したことは良く知られています。地下鉄の通風口からの風によって吹き上がるスカートを抑えるマリリン・モンローのセクシーなシーンがとても印象的な作品です。この映画に使われているのがラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18です。激しく力強い中に、うら悲しくて甘美な旋律は一度聴いたら脳裏に焼き付いてしまう魔力を秘めているようです。その他にこの曲がお似合いの映画といえば不倫の恋を重ねる『逢びき』でしょう。同様に偶然の出会いから運命を狂わせる作品として『旅愁』が挙げられます。「ローマ人の20分は2時間だ」と軽く見ていたお陰で飛行機事故による難を逃れ、予想もしなかった新生活につながってしまいます。ジョーン・フォンテーン扮するヒロインがピアニストとしてコンクールで演奏する曲がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番なのです。甘酸っぱくて苦みを含んだグレープフルーツみたいな映画に良く合いますね。
(2002/03/27)[ペレアスとメリザンド]『青い鳥』でお馴染みのベルギー出身の象徴主義詩人メーテルランクの代表的な戯曲『ペレアスとメリザンド』は、1892年5月にブリュッセルのラコンブル社から出版され、1年後の1893年5月17日にブフ=パリジャン座で上演されました。この短い悲恋物語としての戯曲は、新郎の弟と新妻との浮気の果ての惨劇と捉えるのではなく、戦争と平和のような私たちの力の及ばない受動的不幸を描こうとしていたと言われています。特に外苑の泉で手遊びしながら契約の象徴である指輪を水に落としてしまうところから破局が始まっていきます。この戯曲をドビュッシーがオペラ化しました。また、当時の有名なシェークスピア女優であったキャンベル女史の依頼で、フォーレはドビュッシーの代わりに付随音楽にしました。その後シェーンベルクによって、交響詩『ペレアスとメリザンド』も創られました。更にシベリウスも付随音楽『ペレアスとメリザンド』を作曲しています。物語の中の言葉に秘められた意味する所を考えながら色んな作曲者が表現したかったものを探るのも面白いかもしれませんね。
([2002/03/20)[あっという間の序曲]『ドン・ジョヴァンニ』の初演が行われた1787年10月29日の前日に一晩で書き上げられたそうです。プラハで皇帝レオポルト二世のボヘミア王としての戴冠のための歌劇『皇帝ティトゥスの慈悲』をモーツァルトが創った時の話は更に輪を掛けています。ジョゼフィーナ・ドゥシェク夫人によりますと、モーツァルトは『皇帝ティトゥスの慈悲』の序曲が完成していませんでした。しかし数時間後に公演開始が迫っています。序曲は未だかと劇場から使いがきます。曲想が全く浮かばないのです。「じゃ、騎馬隊の行進曲にしなさい」というドゥシェク夫人のアドバイスで、オーケストレーションはあっというまに出来上がりました。インクがまだ乾いていないスコアを使いが劇場に運んだのです。締め切り付きの作曲には、流石のモーツァルトもかなり苦しんだ模様ですが、一旦筆が走り出すと、あっという間に序曲が創られ、その天才ぶりが現れてくるのですね。
(2002/03/13)[プラハ]モーツァルトはボヘミアの首都プラハとは非常に深いつながりを持っていました。1787年1月8日にウィーンを発ち11日にプラハを訪れ、熱狂的に大歓迎を受けました。「弾くもの、吹くもの、歌うもの、それに口笛まで、なにからなにまでフィガロだ」とモーツァルトが友人に宛てた手紙にその流行ぶりが書かれています。モーツァルトは『フィガロの結婚』KV492の演奏における指揮を行ったり、聴衆のリクエストに応じて『フィガロ』のアリアをテーマとする変奏曲などのピアノの即興演奏を披露しました。劇場支配人から、その年の秋に向けて新しい歌劇の初演のための作品依頼を受けました。ウィーンに戻ってから『フィガロの結婚』の台本作家であるロレンツォ・ダ・ポンテに対し2つの台本を依頼し、その結果『ドン・ジョヴァンニ』が生まれました。1787年10月1日ウィーンを離れたモーツァルトでしたがまだ作品は未完成でした。初演の予定日は10月14日、但し、完成は到底間に合わないことに気付き、そのために『フィガロの結婚』をまたしても演奏することになりました。それから2週間経って『ドン・ジョヴァンニ』の準備が整えられ、初演が行われることになりました。プラハのエステート劇場のために創られた『ドン・ジョヴァンニ』をモーツァルトが指揮をしたのはここだけなのです。また、交響曲第38番ニ長調KV504通称『プラハ』の指揮も行っています。
(2002/03/06)[千花子さんのウェーバー]那須野が原ハーモニーホールオーケストラ養成講座メンバーによります那須フィルハーモニー管弦楽団(愛称:那須フィル)の演奏会を3月10日(日)午後2時より催します。指揮者に山岡重信先生を、ソリストに第6回コンセール・マロニエ21木管部門最優秀賞受賞者のクラリネット奏者近藤千花子さんを、コンサートマスタに西田史朗さんをお迎えします。プログラムは、シューベルト:ロザムンデ序曲作品26、ウェーバー:クラリネット協奏曲第1番へ短調作品73、ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67『運命』、アンコール曲として、バッハ:管弦楽組曲第3番アリア『G線上のアリア』を予定しています。近藤さんのクラリネットは、まるでザビーネ・マイヤーを思わせるような鮮やかなテクニックと若さ溢れるエネルギッシュな中に伸びのある艶やかな音色についうっとりとなってしまいます。山岡先生の『運命』はフルトヴェングラーを思い浮かべるように思いっきり引っ張ってくれますし、ブルックナーを思わせるような付点の長さも特徴的です。ご期待下さい。
(2002/02/27)[和洋響演]2002年2月24日(日)14:00から那須野が原ハーモニーホール大ホールで、ちょっと変わった演奏会が催されました。その名も『和洋響演』と呼び、那須野が原文化振興財団主催しますフェスティバルの最後を飾る音楽演奏部門の演奏会です。3つの筝の会・トロンボーンカルテット・ギターアンサンブル・弦楽合奏が参加し、夫々に持ち味を生かした演奏が繰り広げられました。そして最後に、参加者72名による合同演奏として『さくらによる幻想曲』を楽しみました。勿論皆さんご存知の『さくらさくら』のモチーフを駆使してこの珍しい組み合せのために特別にアレンジして頂いたものです。編曲はギターアンサンブル「アルペジオ」の指導をされていて、東京国際ギターコンクールでの優勝経験があります西村洋さんです。曲は全体によるさくらさくらのアコードに始まり、ヴァイオリンのソロを経て、ギターのメロディーによる主題が奏でられます。続いて、Lentoのヴァリエーション1、Andanteのヴァリエーション2、Allegroのヴァリエーション3、トロンボーンが活躍するヴァリエーション4、そしてフーガのCodaでは最後に筝のソロを受けて、全体によるさくらさくらのアコードで終わります。世界広しといえどもここでしか聴けない貴重なものでした。演奏会当日のステージ練習を含め1週間という短期間に僅か3回の合同練習でしたが、色んな和洋の楽器が集まり協調しあいながら、よくまとまっていました。ボーダレスがこんな所にも現れているんですね。
(2002/02/20)[天才ぶり]モーツァルトは3歳の時、クラヴィアで3度の響きを求め、喜んだそうです。この近くて暖かく落ち着いた響きに何を感じ取っていたのでしょうか?そして、5歳で小曲を作曲し、8歳で最初のソナタと交響曲、9歳で連弾用ソナタと声楽曲・アリア、11歳で劇音楽、12歳でミサ曲やオペラブッフなどと、記録的な若さの内に、驚くべきスピードで、作曲における天才ぶりを発揮して行ったのでした。父レオポルトも「神が与えたもうた奇蹟」と受けとめ、モーツァルトが訪れたヨーロッパ各地では賛辞に包まれていました。そして、わずか15秒ほどの『クラヴィアのためのアレグロ』から3時間弱の『魔笛』まで、786曲(数え方によって異なるでしょうが)もの作品を35歳までにコンスタントに生みつづけてのです。特に、1782年26歳のとき、なんと1年間に60曲も作曲しています。前年に雇用関係を脱し、自由な音楽家としての活動に向かい天才の抑えようも無い気持ちがみなぎった充実した日々を送っていたようです。「ウィーンは素晴らしい土地です。僕の職業にとっては世界中で最高の場所です。」と言っています。また、この1782年は8月4日に聖シュテファン教会で、コンスタンツェとの結婚式も挙げていています。
(2002/02/13)[遂に独立]21才のモーツァルトはいよいよ乳離れならぬ父離れをする絶好の機会を得ます。1777年9月23日早朝ヴォルフガングは、大司教から休暇をもらえなかった父と姉を残し、母と共にザルツブルクを立ちます。父レオポルトが忘れ物が無いかどうかを検めている間に、別離の挨拶もしないうちに馬車は予定よりも早く出発してしまうのです。旅の初夜に「大事な書類を忘れてしまったらしい」と父へ手紙を書いています。これは免状や証書や権威者の手紙など父が必死になって集めたものでした。ひょっとしたらその書類の価値を感じなくて、或いは頼りたくなくて、故意に置いていき、見つけ出さない間にさっさと出発したのかもしれませんね。親から見れば心配ばかりでしょうが、遂に独立する者として、とにかく父から解き放たれ、心も軽く希望に胸をふくらませて、わくわくした自由な気持ちで独立の喜びを噛み締めながら、コンサートマスターの座を棄て、新たな職探しの旅に出たのでした。モーツァルト合奏団も地域文化活動推進事業から独立し、よちよち歩きで至らぬ所だらけではありますが、エキストラも無く、自力で定期演奏会を開催できるようになりましたことはこの上も無い喜びです。
(2002/02/06)[アンケート]2002年2月3日(日)に催しましたモーツァルト合奏団第4回定期演奏会には、昨年の第3回に比べ145名増加の504名ものお客様にご来場頂き、本当に有り難う御座いました。アンケート数も60枚増加の152枚(回収率は4%増の30%)にも及びました。指揮指導をして頂きました白井
英治先生と16名のメンバーは一同に嬉しさで感激していました。聴衆の方々の平均年齢は5才若返って38才で、最高年齢が69才、最低年齢が6才ですが、広い年齢分布となっていました。住所も栃木県北部全域に渡るのみならず、喜連川・馬頭・小川・高根沢・宇都宮・壬生さらには、岩手県・埼玉県からも足をお運び頂き感謝に堪えません。モーツァルト合奏団の定期演奏会は始めての方が68%もいらっしゃいました。印象に残った曲のトップは前回のアンケートでリクエストが最も多かったモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークが31%を占めており、男女の差は認められませんでした。「次回も楽しみにしています」というコメントが何よりも励みになります。今回は特別に、昨年26才の若さで亡くなりました私たちの仲間のヴィオラ奏者の追悼として「G線上のアリア」でお馴染みのバッハの管弦楽組曲第3番のアリアを演奏させて頂きました。演奏中は音に思いを込めて夢中だったのですが、舞台の袖に引っ込むと皆涙が込み上げてきて止まりませんでした。そういう仲間に巡り合えて幸せだなとつくづく感じ入っていました。
アンケート集計分析結果に詳細データを載せておきますのでご覧ください。
(2002/01/30)[座力]モーツァルトの主治医は、ザルツブルク大司教の侍医の息子で、ジークムント・バリサニーという優れたお医者さんだったそうです。しかも、モーツァルトの親友でもあり、崇拝者でもありました。モーツァルトが仕事で夜更かしをし、朝はしばしばベッドで寝たまま書き物をする習慣がありました。バリサニーはモーツァルトにこの習慣を止めさせようと、色んな手を尽くしました。長時間ピアノに向かった時は、立って書き物をするとか、絶えず身体を動かすとか、早朝の乗馬を勧めました。モーツァルトは玉突きやボーリングが好きで、玉突きをしながら『魔笛』の最初の五重唱の案を練ったり、ボーリングの順番を待つ間に『ドン・ジョヴァンニ』のスコアを書いたりして、友人を驚かせたそうです。作家や芸術家には、長時間座って活動をする人が多く、いわゆる「座力」がある方が多いそうですが、やはり運動不足になりがちですので、健康管理には充分に気を使った方が良いですね。
(2002/01/23)[レオポルトの教則本]ヴォルフガングの父レオポルト・モーツァルトが1756年に書いた教則本の序文に『音楽』という言葉の語源の話が出てきます。
歌の女神である9人のミューズ神“Musen”、ギリシャ語の「勤勉」、水“Moys”と学問“Icos”、或いはナイル河の流れの音、風のざわめき、小鳥のさえずり、更にヘブライ語「神をたたえて発明考案された全き作品」と色んな意味があります。読者の方にどれでも気に入ったものを採用してもらいたい。どれも決めずにおきます。
という内容が書かれており、比較的柔軟な姿勢を示して、読者の自主性を重んじ委ねていることがうかがわれます。これからも分かりますように、神からとったものと、自然の中から生まれてきたものと、考え学びとったものという形で真摯な感じが強いのですね。日本語では音を楽しみとして「音楽」と書かれます。でも実際には「音が苦」になったり「音学」になったり「音ガクッ」となることもあるかもしれません。あなたにとってはいかがですか?
(2002/01/16)[第4回定期演奏会]催し物のご案内です。モーツァルト合奏団第4回定期演奏会を2002年2月3日(日)15:00より那須野が原ハーモニーホール 大ホールにて開催致します。入場は無料です。指揮とヴァイオリン独奏は東京芸術大学講師の白井 英治先生です。プログラムには前回の定期演奏会のアンケートの結果を反映させて頂いたものも含めました。ロッシーニ:弦楽のためのソナタ第3番ハ長調、バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BWV1042、グリーグ:ペールギュント組曲より「朝」、抒情小曲集より「船乗りの歌」、二つの悲しき旋律「傷ついた心」「晩春」、モーツァルト:セレナード第13番ト長調 K.525、 《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》です。特に今回は白井 英治先生にソロヴァイオリニストとしてJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲を演奏して頂く機会を得ることができました。大勢の方のご来場を心よりお待ちしております。
(2002/01/09)[ひとしずくの涙]モーツァルトは父レオポルトを1787年5月28日ザルツブルクで亡くし、6月4日に『死んだむく鳥によせるモーツァルトの詩』を詠んでいます。
ここに憩うかわいいおろか者むく鳥、彼はまだ生命の盛りだというのに死という激しい苦しみを経験しなければならなかった。それを思うとこの胸ははりさけそうだ。おお この詩を読まれるかたがたよ。君もむく鳥にひとしずくの涙を流してやってほしい。(以下略)
このような心境のもとで、8月10日にウィーンで最後のセレナード『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』が作曲されました。明るくさわやかで快活な中に、甘く優美で完璧なこの弦楽セレナードの中に込められた亡き父へのメッセージが見えてくるような気がしてなりません。
(2002/01/02)[曲想]音楽は人の(或いは動植物の)感覚に訴えるもので、楽譜によって表現することは容易ではありません。楽曲の速さを示す速度記号や音の強さを表す強弱記号と併せて、作曲家の意図を伝える大切な手段の一つとして、曲想(Expression)があります。これは曲の性格や表情を暗示するために用いられるもので、演奏上のイメージを起こすためにとても有効なものです。例えば、grazioso優美に、dolce柔らかに、scherzando滑稽に、maestoso荘厳に、energico力強く、agitato激して、tempestoso嵐のように、・・・という風に曲想を示す言葉によって、演奏時にどのような感情移入をすればよいか、曲の全体像をどのようにつかめばよいかの助けとなります。時にはAndante sostenutoのように基本速度用語と結びついた場合は、曲想や奏法を示すだけで、楽曲の速度には直接関与しないそうです。主なものを曲想一覧表に挙げていますのでご参考にして下さい。
[2001/12/26][園児のためのコンサート]
[2001/12/19][演奏時間]
[2001/12/12][父に捧げる傑作]
[2001/12/05][弦の伸び]
[2001/11/28][光星学園]
[2001/11/21][音楽環境]
[2001/11/14][近親調]
[2001/11/07][生放送]
[2001/10/31][モーツァルトの耳]
[2001/10/24][プルト]
[2001/10/17][サイトウ・メソッド]
[2001/10/10][Quartet]
[2001/10/03][できる方法を考える]
[2001/09/26][アンサンブル発表会]
[2001/09/19][虫の宴]
[2001/09/12][盲導犬]
[2001/09/05][ソナタ形式]
[2001/08/29][ワークショップ]
[2001/08/22][無料野外コンサート]
[2001/08/15][唱歌形式]
[2001/08/08][ロンド形式]
[2001/08/01][生誕]
[2001/07/25][悔いの無い日々]
[2001/07/18][目立たない大きな音]
[2001/07/11][スコルダトゥーラ]
[2001/07/04][最初のシンフォニー]
[2001/06/27][Analyze]
[2001/06/20][ヘミオラ]
[2001/06/13][死因新説]
[2001/06/06][音楽の記録媒体]
[2001/05/30][交響曲の演奏]
[2001/05/23][メンバーが定着]
[2001/05/16][心に残る宝物]
[2001/05/09][ある日どこかで]
[2001/05/02][画期的な運命]
[2001/04/25][トリオ部]〔三周年記念:8,519名のご来場有り難うございます〕
[2001/04/18][レクイエム]
[2001/04/11][ボランティア国際年]
[2001/04/04][聖ヨハネ騎士団]
[2001/03/28][ウクレレ曲『えひめ丸』]
[2001/03/21][ヴォルフ音]
[2001/03/14][平均律と純正律の差]
[2001/03/07][那須フィル]
[2001/02/28][バックアップ]
[2001/02/21][コンピューターダウンにより1回休み]
[2001/02/14][コンピューターダウンにより1回休み]
[2001/02/07][アンケート]
[2001/01/31][金太郎飴]
[2001/01/24][第3回定期演奏会]
[2001/01/17][アイーダの愛の力]
[2001/01/10][地域文化の活性化]
[2001/01/03][リュートのための舞曲]
{2000/12/27}[ロマン派]
{2000/12/20}[結婚式]
{2000/12/13}[協和]
{2000/12/06}[世紀末の第九]
{2000/11/29}[管の振動]
{2000/11/22}[ドレミ]
{2000/11/15}[オルケストラ]
{2000/11/08}[折り込まれた深い意味]
{2000/11/01}[音の伝わり方]
{2000/10/25}[大バッハ没後250年]
{2000/10/18}[ジャンルを超えて普遍的な感動]
{2000/10/11}[心で歌うお手伝い]
{2000/10/04}[幻のアルペジョーネ]
{2000/09/27}[ヴァイオリンの音色の正体]
{2000/09/20}[雷様のお導き]
{2000/09/13}[愛の音楽教育]
{2000/09/06}[伯爵の影響]
{2000/08/30}[メンバー募集]
{2000/08/23}[少女のような気持ち]
{2000/08/16}[マイナスイオンでリラクゼーション効果]
{2000/08/09}[音で安心]
{2000/08/02}[立って演奏]
{2000/07/26}[大きな音]
{2000/07/19}[フェルマータ]
{2000/07/12}[弦楽合奏と四重奏]
{2000/07/05}[大切な爪]
{2000/06/28}[客観的評価]
{2000/06/21}[武茂小音楽教室]
{2000/06/14}[ラスト・レッスン]
{2000/06/07}[分析]
{2000/05/31}[倍速]
{2000/05/24}[アコード]
{2000/05/17}[どちらのブラームスがお好き?]
{2000/05/10}[作品に番号を付けたがる科学者達]
{2000/05/03}[キラキラ星に寄せる恋心]
{2000/04/26}[都合により1回休み]
{2000/04/19}[二分の二とキザミと親知らず]〔二周年記念:4,665名のご来場有り難うございます〕
{2000/04/12}[お引越し]
{2000/04/05}[女流作曲家]
{2000/03/29}[音楽に関する法律]
{2000/03/22}[天才の悩み]
{2000/03/15}[エキストラ]
{2000/03/08}[ノーマライゼーション]
{2000/03/01}[訴えるもの]
{2000/02/23}[ラ・フォリア]
{2000/02/16}[合奏協奏曲]
{2000/02/09}[余韻]
{2000/02/02}[特別な日]
{2000/01/26}[未就学児のためのコンサート]
{2000/01/19}[則天去私]
{2000/01/12}[音のお年玉]
{2000/01/05}[イベント]
《1999/12/29》[初めての合宿]
《1999/12/22》[感性が導くイレガル]
《1999/12/15》[北欧の色彩]
《1999/12/08》[ピリオド楽器]
《1999/12/01》[音楽とギリシャ神話]
《1999/11/24》[ベビーシッター]
《1999/11/17》[音が音を消す]
《1999/11/10》[エンコード・デコード]
《1999/11/03》[文化]
《1999/10/27》[ドイツの香りたっぷりのニューフェイス]
《1999/10/20》[音楽の伝承]
《1999/10/13》[クラリネットの魅力]
《1999/10/06》[ハ短調の名曲]
《1999/09/29》[音の高低と強弱]
《1999/09/22》[文化祭]
《1999/09/15》[わが国初の自治体共同文化施設]
《1999/09/08》[共感]
《1999/09/01》[人の感覚の凄さ]
《1999/08/25》[のばしで歌う]
《1999/08/18》[贅沢なひととき]
《1999/08/11》[擦弦楽器の奏法]
《1999/08/04》[五線譜におたまじゃくし]
《1999/07/28》[ふさわしいテンポ]
《1999/07/21》[聴覚回復で真の芸術が復活]
《1999/07/14》[楽章間で目から鱗]
《1999/07/07》[音楽の持つ不思議な力]
《1999/06/30》[裏方さんの影の力]
《1999/06/23》[永久の愛と蘇える魂の旋律]
《1999/06/16》[マナー]
《1999/06/09》[古典組曲]
《1999/06/02》[文化を育てる気持ち]
《1999/05/26》[安らかな世]
《1999/05/19》[ロメオとジュリエット]
《1999/05/12》[産みの苦しみ]
《1999/05/05》[カノン]
《1999/04/28》[カザルスホール]
《1999/04/21》[モーツァルトの交響曲]〔一周年記念:1,538名のご来場有り難うございます〕
《1999/04/14》[ムクドリの歌]
《1999/04/07》[音を聞く]
《1999/03/31》[桜パワー]
《1999/03/24》[心地よい演奏]
《1999/03/17》[ピタゴラス音律]
《1999/03/10》[小川
典子さんの皇帝]
《1999/03/03》[音楽と命]
《1999/02/24》[祝
演奏会成功]
《1999/02/17》[都合により1回休み]
《1999/02/10》[急激な変化は身体に毒]
《1999/02/03》[第1回定演]
《1999/01/27》[一風変わった曲]
《1999/01/20》[1000人のチェロコンサート]
《1999/01/13》[継続は力]
《1999/01/06》[消化に良い音楽]
<1998/12/30>[年の瀬は第九]
<1998/12/23>[なりきりマエストロ]
<1998/12/16>[フレッシュコンサート]
<1998/12/09>[ブラームスの失恋]
<1998/12/02>[荒れる寅年]
<1998/11/25>[ヴァイオリンの魅力]
<1988/11/18>[ユニバーサルデザイン]
<1998/11/11>[幸せな音]
<1998/11/04>[旅行]
<1998/10/28>[編曲で新曲]
<1998/10/21>[クラシック音楽の魅力をさぐる]
<1998/10/14>[N響来る]
<1998/10/07>[求同存異]
<1998/09/30>[テンポを保つ]
<1998/09/23>[チャリティ・コンサート]
<1998/09/16>[温かいこころ]
<1998/09/09>[ピアノ・トリオ]
<1998/09/02>[集中豪雨]
<1998/08/26>[『音の森林浴コンサート』]
<1998/08/19>[最高の状態で演奏]
<1998/08/12>[居眠り]
<1998/08/05>[音楽交流の思い出]
<1998/07/29>[1999年はJ.Straus
年]
<1998/07/22>[『モーツアルト合奏団』]
<1998/07/15>[音程]
<1998/07/08>[2人のパブロ]
<1998/07/01>[コンクールと環境]
<1998/06/24>[室内楽のルーツ]
<1998/06/17>[教育の力]
<1998/06/10>[『同じ釜の飯』]
<1998/06/03>[演奏の愉しみ]
<1998/05/27>[『ビビビッ』と琴線に触れる曲]
<1998/05/20>[我が家の鳩の巣立ち]
<1998/05/13>[平和と鳥の曲]
<1998/05/06>[フランスとモーツアルトとビッグサイト]
<1998/04/29>[絶対音感とチューニング]
<1998/04/22>[ホームコンピューティング開始]