クロアチア戦後の満たされない感覚
2006FIFAワールドカップ グループF 第2戦
日時:2006年6月18日
場所:ニュルンベルク
日本 0−0 クロアチア
56% ボール支配率 44%
12本 シュート数 16本
得点者
-

Kimutake's eye
 
 この満たされない感覚はいったい何なのだろう。クロアチア戦の翌日、全身に疲労感が残る中でボーっと考えていた。何かがポッカリと抜け落ちているような感覚。

 試合内容は決して悪くなかった。決定的な場面こそ相手の方が多かったが、ボールポゼッションでは56%:44%と日本がクロアチアを上回った。前日にイランがポルトガルに7割がたボールを支配されていたことと比較しても、この日の日本がそれなりにいいサッカーをしていたことが分かる。相変わらずゴール前では迫力不足だったが、少なくとも初戦のオーストラリア戦よりは日本らしい試合をしていた。また、そう見えたかどうかはさておき、選手達は勝利の為に自分達の持てる力を出し尽くしていたとも思う。

 だが、何か煮え切らない。結果が出なかったからという訳ではない。自分の中で何かが満たされていないのだ。この感覚はいったいどこから来るのか。

 クロアチア戦と同日に行われた韓国対フランス戦のビデオを見て、その理由が分かった。

そこには、韓国が1試合1試合を完全燃焼している姿があった。

W杯という舞台で自国の代表がすべてをかけて世界と勝負できる喜びを1試合1試合噛み締めながら、国中がひとつになって熱く燃え上がっている姿が羨ましかった。日本では、初戦を落とした時点でそのムードが少し薄れてしまっていた。自分の周りでも初戦の敗戦の後は諦めの空気が蔓延していたし、「どうせダメだろう」という予防線を張りながら冷めた見方をする人が多かった。オーストラリアに負けた後、あるいはクロアチアにドローとなった後で、日本が参加している4年に1度のこのW杯を、多くの日本人が客観的な視点でしか見れなくなっているとしたら、それはあまりにも寂し過ぎやしないか。自分が感じていた煮え切らない感覚はまさにそこから来ている。まだ、「W杯で戦っている」という感覚が得られていないのだ。

 思えばこの感覚は4年前のあの雨の宮城スタジアムから続いている。あの時の不完全燃焼だった気持ちを払拭するためにも、このままでは終わりたくないし、終わることはできない。

 日本が決勝トーナメントに進んでイタリアやスペインとすべてをかけて戦うところが見たい。もう1度日本中がひとつになって、完全燃焼する試合が見たいんだ。
 


クロアチア戦を勝手に採点